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父の臨終までを偲んで書く

5年近く下書きのままにしていた、オヤジを看取った話。

久しぶりに読み返したら、なんか吹っ切れた思いになったので、故人を偲んでここに書き残す。

 

正月まで自力で歩いて新年会では酒を呑んで良い気分だった親父だが、いろいろあって入退院を繰り返し、病院では老人をわざわざ歩かせたりもしないので足も弱り車椅子。

 

退院にあたっては、主治医の先生がこう言ってくれた。

 

「在宅介護は絶対にやめた方が良い。家族がめちゃくちゃになってしまう。まだ入院していて良いから施設を探しなさい」と。

 

その言葉は当時は言い過ぎかとも思ったけれど、振り返ってみると本当に有り難い言葉だった。

病院のケアマネージャさんが施設を色々と探してくれたのだが、結果として後輩に教えてもらった紹介会社で見つけた、両親の実家から徒歩圏内の有料老人ホームに入ることにした。

 

それにしても有料老人ホームって高い。

月額で20万円あたりを下限にして、上は天井知らず。

入居時に数百万円を払うところ、ナースコールを押す度に500円取るところ、あれこれ合わせれば月額30万円なんてザラだ。

年金を全部突っ込んでも足が出る。

 

この時点ではまだ手を引けば歩ける状態だったのだが、本人の生への執着が薄れてきたこともあって、車椅子の時間が増えて歩けなくなっていく。

 

そのうち排尿の能力も低下し、管で導尿することに。

「竹輪に割り箸を差し込んでいるようなもので、長くやっているうちに裂けてきます」という、主治医の痛そうな説明が頭に残る。

それを防ぐには管を上方向に固定することが大事で、特にスタットロックという固定テープが秀逸とのこと。

でも、少しでも快適にしたくて、いろいろ調べた。

オレがそうなるときには、もっと違う医療器具が出てるんだろうな。

 

そこからまた入退院を繰り返し、介護度が上がるにつれて施設も移り、終の棲家となるホームは、大手企業の運営だけあって人も施設も充実していた。

 

これでもう死んでしまうのか、と思うことも何度かあった。

 

嚥下できずに肺炎になった時、栄養補給のための胃瘻(いろう)を拒否すると病院に伝えた夜は泣いた。

ちょうど息子の反抗期とも重なって、息子の言葉に泣いたオレを見て息子も泣いた。

自分の父親の寿命を自分が決めた。

そんな気持ちで泣いた。

 

でも彼は頑張ってリハビリをして、また食べられるようになった。

スゴい生命力だ。

 

そうして、一進一退。

母や、看護師の皆さんに強い言葉を放ちつつ、彼は衰えていった。

 

そしてオレの誕生日を少し過ぎた日。

最後まで寄り添ってくれた母に見守られながら、彼は旅立った。

 

あっけない。

 

今年の正月は自分で歩いていたじゃないか。

ピンピンコロリじゃなかったけども。

こんなもんなのか。

 

そう思った。

今まで、本当にありがとう。

あなたのお陰で、オレはとても良い経験をする人生を与えられた。

溢れんばかりの好奇心を満たし、思うがままに進むことができた。

どれだけ礼を言っても足りないくらいだ。

ありがとう。

 

結局、あなたの背中を見ながら、追いつくことも追い越すこともできていない。

素晴らしい父親だったと思うよ。

お母さんのことは心配しないで。

オレ達兄弟がしっかり面倒をみるからさ。

またね。

そのうちそっちに行くよ。

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